他人は自分を生きられないし自分も他人を生きられない
こんにちは。
YOMAXです。
皆さん元気ですか。私はま~~~~元気と言いたい所なんですかあまり元気ではなかったですね。寒いせいか低気圧のせいか勉強のせいか、まあ多分全部なんですけどすごい落ち込んでしまって学校をサボってしまった
でもヨガやってたら普段と比べて感じるストレス10分の一くらいになって ん…?という感じになりました。ヨガっていってもテレビでやってるようなびっくり人間ショーみたいなやつでなくて、いわゆる瞑想を5分くらいやるだけなんですけどこれだけで随分気分が違う気がする といってもすぐに明確な効果がずっと得られるものではないので、地道に続けていこうと思います 地道にな
ストレスが少なくなった要因として、ヨガによる身体的なアプローチも大きかったんですけど為末さんのブログを読んで、何というか新しい考え方を取り入れられたというのもありました
ブログを読んでいて、どの記事も興味深いな~と思ったんですけどその中で(どの記事だったか忘れちゃったけど)「他人の人生は自分に生きられない」みたいな話があってそれを読んで何だか心が軽くなった
前の記事でも書いたように今まで自分の経験した困った事や、考えなどを人に相談したり話す事がほとんど無かったので最近友達にストレスのコントロールとか考え方について相談したりするんですけど「他人へのベクトルが向きすぎている」「メチャクチャ色々な事を考えている」っていう意見が今のところダントツ一位 何か一般的にはそんな他人のことを見たり考えたりしないらしい
ツイッターにも少し書いたんですけど、小さい時から何かで不満を持っている奴に八つ当たりされる事がそれなりにあって、その度に「勝つか…………コイツには…………………」って思って勉強したり新しいスキルの習得を試みたり絵描いて発散しようとしてたんですけど、別に八つ当たりした本人に向かって、例えば自分が仕返しに暴力振るったり、そんなんだからお前は何にもできないんだよクソが!みたいな事言った訳じゃなかったから、嫌な出来事が燃料にはなったけど心の中では実際は未消化で燃えカスがずっと溜まったような状態になっていた
まあそんなこんなでここまで来てしまったから、怒りを発散したいというか、実際に頭の中で考えてる事を言ったらどうなるんだ…?もし万が一殴ったらどうなる…?みたいなワクワク感、このまま何も言い返さないで良いのかという悔しい気持ちとか、そういうものがずーーーーーっと存在していて時々それが膨らんだり爆発しそうになったりしていました それでその中には少なからず、どうして他人を攻撃するんだ、不満があるならそれを解決するために何かすればいいじゃん、っていう考えがあって
でも為末さんのブログのさっきの一文を見て、ああ自分が別にそんな奴のこと考えなくていいな…と思った そもそも成人あたりになったら精神の成熟度合いはさておきある程度”一個人”みたいなものは出来上がっちゃってる訳で、それを他人である自分が何か言った所でそれまでそういう生き方をしてきたんだからしょうがないし、だったら今自分がやるべき事や、やりたい事に思考のリソースを割いた方が全然良い
こうして言葉にするとごくごく当たり前のことだし自分も理屈では分かっていたことだったんだけど、実際にきちんと納得できるっていうのは別の話だから、今のうちにそれが分かって良かったな~と思う
終わり。